生き方さがし その後

 大学3年の頃、教授に大学院の進路について相談する機会があった。そこで自分の希望を話すと、教授はしばらく考え込んだ末、「君がやりたいことをやれるところはないね」と答えた。僕がやりたいことは、物理ではなく哲学だと言うのだ。

 確かに大学院の受験が迫ってくると、どの分野を目指すか迷った。物理は好きなのに、分野をどれか一つに絞るとなると何か似て非なるものに思えてくる。進学するにはしたが、教授の予言通り大学院では僕が望んだ物理はやれなかった。

 なんとか学位は取ったものの、卒業後、大学に残ることはためらわれた。結局、企業の研究所に進んだが、自分のやりたい物理からはますます遠ざかるばかりだった。

 こんな話をすると、好きなことをやって食って行こうなどと虫が良すぎると叱られそうだ。そんなことができるのは限られた天才だけだと。いや、才能があっても簡単ではない。あのイチローですら、今では高校の頃のように野球を楽しむことはできないと言っているのだ。

 だが、もちろんそんなことは百も承知だった。しかし、それでもあきられないのがつらいところだ。その後、とうとう会社も辞め、物理も捨て、自分の生き方を求めて暗中模索を続けたが、何をやっても手応えは得られなかった。

 ところが、最近、ふと自分がそうした焦りをほとんど感じていないことに気がついた。それには、5年ほど前から物理学者の同級生と物理について定期的に議論するようになったことが大きい。以前は、専門から離れて物理を考えるのには抵抗があった。趣味で物理をやりたくなかった。しかし、このまま物理を忘れてしまっては、後々必ず後悔する。そこで思い切って友人のところに押し掛け、議論を吹っかけたのだ。当初はなかなか話が噛み合なかったが、次第にお互いの理解が深まり始めた。かつて哲学と揶揄された僕の考えは、どうやら物理の問題として考察する意味がありそうだった。

 ただ、最近の意識の変化は、この物理の復活だけによるものではない。10年前にエッセイを書き始めていて以来、自分らしさを強く意識するようになった。自分なりに納得のいくものを書こうと思えば、自ずと自分らしさを表現する必要がある。そこにさらに自分らしい発想が生まれてこそ良いエッセイになる。恐らく、エッセイを書く作業を繰り返すことにより、自分らしさをどうすれば発揮できるのか次第にわかってきたのではないだろうか。それは物理やエッセイに限らない。他のさまざまなことに対して、徐々に自分らしい取り組み方ができるようになって来ているように思うのだ。

 どの分野で成功している人たちも、必ず行き詰まったり悩んだりしている。だが、良い仕事をしている人たちは、壁に当たる度に自分のやり方で乗り越えているのだ。そこには自分らしさ、自分の才能によって克服していると言う強い自負があるに違いない。

 やりたいことは、どこかに転がっているわけではない。やりたいことをやるというのは、実は困難を乗り越えるための自分流のやり方を身につけることなのかもしれない。

自治体消滅

 先日、日本創世会議が公表した「消滅可能性市町村リスト」が話題になった。日本の人口減少に伴い地方の過疎化が加速し2040年までに約半数の自治体が消滅するという衝撃の予想だ。この数字自体には異論もあるようだが、地方の職の減少が若者の都市への流出を加速し地方の人口減少に拍車が掛かっているのは紛れもない事実だ。

 かつて登山などで田舎に行くといつも疑問に思うことがあった。この辺りの人たちは一体どうやって生計を立てているのだろうか。工場があるわけでもなく、山間の土地は農業にも向かない。観光客目的の飲食店や土産物屋の客もまばらだ。にもかかわらず、道路はきれいに整備され、目を見張るような立派なトンネルが通っている。何十億もかかるそうした土木工事がいったいどれほどの観光収入につながるのだろうか。だが、ある時、それは観光目的などではなく、地元の雇用創出のためなのだと気づき目から鱗が落ちた。

 公共事業と並んでもう一つ田舎の経済を支えているのが年金である。田舎では高齢化が進み年金受給者の比率が大きい。年金は生活費として消費されるため、それを目当てとしてスーパーなどが進出する。繁盛しているのであたかも経済が回っているかのような錯覚に陥るが、ひたすら年金を消費しているだけで何かを生み出しているわけではない。

 現代の日本社会は、都会の生産活動で得られた利潤を税金や社会福祉費として吸い上げ、公共事業と年金を通じて地方に回す構造となっている。こうした仕組みが出来上がった裏には政治家の票稼ぎがある。時の政権は選挙対策として公共事業予算をばらまき、地方もそうした予算を当てにしてきた。だが、永年のそうした体質が地方から自力で何かを生み出す力をすっかり奪ってしまったのである。

 こうした構造は、日本の国際競争力と言う点からも大きなマイナスである。日本の国民一人当たりのGDPは世界第24位(2013年)と主要先進国の中ではもっとも低い水準だ。票稼ぎに奔走してきた政治家達の永年の方策が、日本を非常に生産効率の悪い国にしてしまったのである。大都市への産業や人口の集中は、ある意味ではこうした低い生産性を是正しようとする流れとも言える。国際競争が日本の弱者を振るい落とそうとしているのだ。

 消滅から逃れるために多くの自治体は定住を促し人口の流出を抑えるのに必死だ。住人に対するさまざまな優遇策を打ち、またそのための予算を獲得するために血眼になっている。しかし、国全体の予算状況が厳しい中、予算頼みの方策には限界がある。

 それよりも、都会にはない地方独自の魅力に目を向けるべきではないだろうか。海外の観光客から見れば、豊かな自然や伝統的な食に恵まれた日本の田舎は宝の山だ。地方が自立するためには、そうした自らの貴重な資源を最大限に生かす知恵と工夫が大切だ。

 自治体消滅は地方だけの問題ではない。自治体が消滅すれば地方から都市への人材供給がストップし、次は都市を労働人口不足が襲う。ばらまき体質と決別し、国を挙げて地方の資源を生かす対策に本気で取り組まなければ日本の明日はない。

バルテュスの衝撃

 2ヶ月ほど前にJRの秋葉原駅でバルテュス展の巨大なポスターを見かけた。そこに用いられていた作品は彼の代表作の一つ、「夢見るテレーズ」だった。少女が椅子に座って片膝をたて、パンツ丸見えの格好で横を向いて目を瞑っている。何か悩みでもあるのか、その表情は硬い。足下では猫が皿の水をなめている。強烈な印象の反面、一目見ただけではその意図は図りかねる。「称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠」というコピーは、その複雑な印象を巧く言い当てているように思えた。

 それからひと月ほどして、NHKの「バルテュスと彼女たちの関係」という番組が偶然目に飛び込んできた。俳優の豊川悦司さんが美術調査員に扮し、バルテュスが関わった女性たちとの関係を追いながら画家の本質に迫って行くと言うミステリー仕立ての番組だ。

 バルテュスは、少女が大人になる瞬間に取り憑かれた画家だった。それゆえ彼は一部の人からロリコン画家のレッテルを貼られてきたのだ。確かに彼は生涯、何人かの少女に心を奪われ、時には田舎の城館に隠棲したこともある。だが、彼がそうした少女に見出したものは、何か我々の想像を超えたもので、そこには天才の鋭い直感と洞察が感じられた。ただ、この番組からだけでは、彼の真の狙い、彼が追い求めた物が何であったのかを実感することは不可能だった。それを確かめるためには、この目で直に観てみるしかない。

 東京都美術館のバルテュス展では、誤解だらけの画家の作品を一目見ようと押し掛けた大勢の老若男女たちがバルテュスの強烈な個性に胸を射抜かれ、普段の展覧会では感じたことのないような熱気に包まれていた。バルテュスの絵には圧倒的な存在感があった。

 まず舌を巻いたのはその技術の高さだった。テーマの特殊性にばかり目が行き勝ちだが、その先入観は見事に裏切られた。彼は誇りを持って自らを職人と称していたが、この確かな技術的な裏付けなしでは、彼が追求する世界を描くことは到底不可能だったのだ。

 片胸はだけた少女が髪をとぎながら鏡に向かう姿を描いた「鏡の中のアリス」では、荒々しい筆のタッチが限りなく柔らかい胸の曲線を描き出しているのに驚かされる。髪はソフトだが、鏡を見る目は真っ白でまるで何かに取り憑かれているかのようだ。一方、足は人形のように無表情だ。これらが一体となることで、まるで汗のにおいが嗅ぎ取れるような濃厚なエロティシズムを発散すると同時に、何か超人的な生命力が描き出されている。

 バルテュスの考え抜かれた大胆な構図は瞬時にこちらの心を捉え、ある種の調和に満ちた安心感をもたらす。だが、同時に得体の知れないエネルギーが磁場のように伝わってきて、画家がそこに込めた世界が容易に見通せるものではないと思い知らされるのだ。

 生涯にわたって画家に強いインスピレーションを与え続けた少女たちに、彼は常に畏敬の念を持ってきたと言う。その思いは作品として結実すると同時に、彼の世界をさらに深めて行った。彼の絵が多くの人を惹きつけて止まないのは、そうした創作を貫くことで次第に純化されて行ったバルテュス自身がそこに現れているからに違いない。

大国の憂鬱

 今年2月、ロシアのソチでは悲願だった冬期オリンピックの開催を宣言するプーチン大統領の満足そうな姿があった。だが、その大会の最中、目と鼻の先のウクライナで親ロシア派のヤヌコービッチ大統領に対する抗議デモが起き、大統領は国外に逃亡した。この事件を機にロシア系住民が多いクリミア自治区ではウクライナからの独立の機運が高まり、国民投票を経て瞬く間にロシアに編入されてしまった。

 一方、東アジアでは、このところ中国の海洋進出が目立ち、日本だけでなくベトナムやフィリピンとも領土問題で緊張状態が続いている。中国は国内でも新疆ウイグル自治区などでしばしば発生している民族問題を力で抑え込もうとしている。先日の天安門事件25周年においても、5年前の20周年のときに比べ政府のはるかに神経質な対応が目についた。

 かつての冷戦時代に東側を代表したこの2大国は、今になってなぜこうした強権的な行動に出ているのだろうか。

 25年前に冷戦が終結すると、ロシアも中国も資本主義経済に舵を切った。90年代のロシアは経済危機に見舞われたが、プーチンが大統領に就任した頃から天然資源の価格が高騰し経済は急速に回復した。一方、中国では改革開放政策による外資の呼び込みに成功し、2000年代に入ると驚異的な経済成長を遂げた。もはやイデオロギーの時代は終わり、いつかはこの両国も資本主義経済の枠組みに取り込まれ、世界は一元化していくのではないかと期待された。だが、両国の発展の裏ではさまざまな矛盾が生じていたのである。

 ロシアでは、欧米的な近代化を推し進めるために製造業を立ち上げようとしたが、産業を牽引する中間層が育たず、結局、国家が管理する天然資源に頼る体質に逆戻りしてしまった。その一方で、グルジアやウクライナなどかつてソ連に属した国々が次第にヨーロッパとの関係を強め、ロシアが描く地域秩序と安全保障を脅かすようになった。

 中国では人件費の高騰による国際競争力の低下により経済が減速し始め、国民はかつてのように明るい未来を描くことができなくなってきた。貧富の格差が広がり環境問題も深刻さを増す中で、下手をすれば不満の矛先は一気に共産党政権に向きかねない状況にある。

 こうした現状を打開するために、かつての冷戦時代の統治手法が復活しつつあるのだ。両国に共通するのは、資本主義経済に移行後も自分たちの価値観を西側に合わせるつもりはないという点である。未だに民主主義は育たないし、育てようとする気も見られない。独裁的な権力の下で国家主導の発展を目指し、国民もそれを支持する体質は、かつての冷戦時代、ひいてはそれ以前の帝政時代と本質的に変わっていない。

 だが、冷戦時代とは決定的に異なる点がある。それは彼らが経済的に世界中と深く結びついていることである。身勝手なやり方は、すぐに我が身に跳ね返ってくるのだ。

 強引な態度はむしろ彼らの弱みの裏返しだろう。日本を含め各国は、挑発に乗らず事態の正確な分析と冷静な対応が望まれる。

ストレスを避けるスマホ社会

 先日、NHKのある番組で道徳教育の問題を取り上げていた。ネットの影響による最近の子供の常識のなさを観ていると何らかの対策が必要だと感じるが、国家主導の道徳教育でそれが何とかなるとは思えない。とはいえ、家庭だけで解決できるレベルでもなくなってきている。番組を見ているうちにこちらも頭が痛くなってきたが、ふと、問題の所在は全く別のところにあるのではないかと思い至った。

 そもそも道徳などというものは、社会との交流なしに身に付くはずがない。周りを気遣うことの大切さを実感するには、実際に町に出て経験することが必要で、学校で美談ばかり聞かせても意味がない。子供たちの道徳観の欠如の根底には、子供同士、あるいは社会と子供が直に交流する機会の不足があるのではないか。

 今の子供たちは、実社会との交流よりもネット社会に慣れている。子供同士の人間関係も希薄だ。友達同士で集まっても、各自が勝手にゲームに没頭しているようでは人間関係とは言えない。

 僕が子供の頃は、好きな友達もちょっと嫌な奴も一緒に遊んでいた。だからいつも人間関係は微妙だった。いじめる奴がいれば、いじめられている奴の味方になる者もいた。親しい仲間同士でもしょっちゅう衝突があった。今思えば、かなりストレスのある環境だが、当時はそれが当たり前で、それでも十分楽しかった。

 誰もがこうした環境のなかでさまざまな体験をすることにより成長した。問題児も次第に広い社会に出るにつれて人間関係の中で揉まれ、自然に常識をわきまえるようになった。そこにはいつもストレスがあったはずだが、それを乗り越えることで一人前になったのだ。だが、最近は子供に限らずおとなもそうしたストレスを避ける傾向にある。

 その背景には、スマホに象徴されるIT技術の進歩がある。もともとスマホは情報の伝達を助けるための技術である。確かにネットに接続すればどこにいても世界中の情報が得られるし、LINEを使えば誰にでもいつでも要件を伝えられる。SNSの発達は、アラブの春に象徴されるような大きな社会的ムーブメントをも可能にした。一見、コミュニケーションは高度化したかに見える。

 しかし、そうした派手さの裏で人と人の直接の交流は明らかに減って来ている。スマホによる交流の方がストレスが少ないからだ。LINEやFacebookの急速な普及は、単に便利さだけによるものではなく、そこではストレスなく自己主張できるからなのだ。

 自動車の普及で人類は歩かなくなり、運動不足からさまざまな健康上のトラブルに悩まされることになった。一方、スマホの普及は人間同士の直接の交流を減らし精神的な成長を阻害している。その結果、ストレスに脆く粘りのない不安定な社会が形成されつつある。このところ運動不足を補うためにはジムに通う人が増えたが、スマホによって失われた精神的な強さを補うためのリハビリが求められる日も近いうちにやって来るのだろうか。

米野の風景

 かつて僕が住んでいたのは、名古屋駅から近鉄で一駅目の米野という所だった。しばらく前にGoogle Mapの航空写真でこの辺りを見ていると何やら奇妙な建造物が見つかった。米野駅のすぐ脇を起点とし、近鉄や関西本線の線路を一気に跨ぐ橋が架けられていたのだ。全長はゆうに100m以上ある。歩道橋だと思われるが、それにしては巨大だった。

 この辺りは戦時中の空襲を逃れたエリアで、いまでも古い平屋が所々密集し、自転車も通りづらい狭い路地が入り組んでいる。かつては活気のあった商店も名古屋駅周辺の巨大商圏に圧されて立ち行かなくなって久しい。だが、地元地権者の利害が絡み合って再開発もままならずエアポケットのように取り残されてしまっている。このところ名古屋駅周辺に高層ビルがいくつもでき、その落差はさらに拡大した。そこに突如現れた巨大歩道橋。何かこの辺りにも変化の兆しがあるのだろうか。この目で確かめたくなり、帰省した折に訪ねてみた。

 歩道橋の登り口に着くと自転車が何台も乗れるような大きなエレベーターがあった。驚いたことに、そこは子供のころ親しんだ白山神社があった所だった。神社は道を隔てた狭い場所にひっそりと移設されていた。エレベーターに隣接するその一帯は工事用の白いフェンスですっかり囲まれている。ショッピングモールでもできるのだろうか。

 歩道橋に登ると名古屋駅方面と我が米野の町の対照的な風景が一望できた。両サイドを透明なプラスティックで覆われたその橋は、何か未来へのトンネルを思わせた。橋の向こう側に着くと、そこには真新しい鉄道の駅があった。《あおなみ線 ささしまライブ駅》。いつの間にこんな鉄道ができたのだろうか。橋の向こう側はかつて貨物線の名古屋駅があった所だ。今は更地となった広大な跡地では、すでに何やら大規模な工事が始まっていた。

 橋を引き返し再び米野に戻ると、ちょうど母から電話があった。「米野におるんだったら、秋田さんのおじさんに挨拶してったりゃー」と言う。秋田さんというのは、子供の頃通っていた秋田理容店のことだ。だが、行ってみると店は日曜なのに閉まっていた。しばらく写真を撮っていると近所からおばさんが出てきた。「秋田さん、やめちゃったんですか」と尋ねると、「やっとるよ。そこに住んどるがね」と向かい側の家を指さす。振り返ると、2階から女の人達ががこちらを覗いていた。「杉山です」と挨拶すると、奥さんが窓から身を乗り出して、「写真屋さんの子か。弟さん?」「長男です」「ああ、やっちゃんか」と頷いている。「『あんまりうちの店が汚いんで写真撮っとるんだわ』と言っとったとこだが」などと話していると、玄関のドアを開けてひょっこりおじさんが出てきた。

 「おかあさん、元気かね。わたしはおんなじ81歳だが、まだ現役バリバリだで」と調子がいい。「店は一人でやっとるがね。馴染みのお客さんだけだが。今日は早めに閉めたんだわ。」昔、顔を剃ってもらったときのことなどを話すと、おじさんは嬉しそうに目を細めた。

 秋田さんと別れ、人気のない米野の町をぶらぶらしてみる。すると、かつて道端に机を出して将棋を打っていた頃の記憶が、鮮やかに蘇ってくる来るのだった。

メダルを超えるもの

 先日行われたソチオリンピックでは2週間にわたり激戦が繰り広げられた。金メダルを目指して必死に戦う選手たちの姿はすばらしいが、勝者がいれば敗者もいる。メダルは時には輝き、時には残酷になる。そうした中で、フィギュアスケートの浅田真央選手は、死力を尽くした末に到達した勝敗を超えた世界を見せてくれたような気がする。

 バンクーバーの銀メダルから4年、浅田選手は悲願の達成を目指してソチにのぞんだ。それを見守る多くの人もなんとか金メダルを取らせてやりたいと願っていた。だが、その期待は初日のショートプログラムの段階で早くも打ち砕かれてしまった。普段は考えられないような失敗を犯し、フリーを待たずにメダルは絶望的となったのだ。

 経験したことのない異常な緊張で体が動かなくなったと本人はうなだれたが、もともと浅田選手には他の選手にはない大きなプレッシャーが掛かる特殊な事情があった。彼女は世界の女子選手の中で唯一トリプルアクセルを飛ぶことができる。しかしその難度に比べて得点は低く抑えられている。得点を上げても恩恵を被るのは浅田選手のみで、世界中の審査員はあえて自国の選手に不利になるような変更を望まなかったのだ。

 その結果、リスクを犯してトリプルアクセルに挑戦する選手は誰もいなくなってしまった。勝敗を分けるのは大技の成否ではなく、各技の出来映え点をどれだけ稼ぐかに移った。浅田選手自身もトリプルアクセルを回避し他の技に集中する選択肢もあったし、その方が点が伸びた可能性が高い。しかし、自分にしかできない大技への挑戦を避けるのは、スケーターとしての彼女の信条に反したに違いない。だが、不利を承知で組入れることにしたその決断が、悪魔が棲むと言われるオリンピックの舞台で想像をはるかに超えて重くのしかかった。

 絶望のどん底に突き落とされた彼女は、はたしてフリースケーティングまでに気持ちを立て直せるのだろうか。体はまともに動くのか。演技が始まっても浅田選手の表情は硬いままだ。だが、冒頭のトリプルアクセルを成功させると、その後も次々とジャンプを成功させ、後半に向かうにつれて動きが良くなって行った。最初からいつもの伸びやかさがあればさらに高得点が出たろうが、緊張の極限で奇跡とも言えるすばらしい滑りを見せたのである。会場は感動に包まれた。多くの人がその演技に金メダル以上のものを感じたに違いない。

 演技の直後、天を仰いだ浅田選手の目からは思わず涙が溢れた。それはくじけそうになった心を立て直すことができた自負心だったのだろうか。あるいは自らが目指してきた困難な挑戦をやり遂げた達成感だったのだろうか。それとも、それでもなおメダルには届かないという悔恨の念だったのだろうか。

 競技の後、自らもフィギュアスケートのレベルアップに挑み続けてきたプルシェンコ選手が、彼女の演技を心から讃えた。浅田選手には笑顔が戻っていた。そこにはメダルを逃した悔しさは消え、何か手応えをつかんだ晴れやかさがあった。それはキム・ヨナ選手でさえ感じることができなかったものではなかろうか。

グレン・グールドのモーツァルト

 このところ練習してきたギロックのジャズが一段落し、次に何をやるか探すために帰宅途中にiPhoneを覗いていると、グレン・グールドのモーツァルトのピアノソナタ全集が目に飛び込んできた。この全集は癖が強く、これまであまり真剣に聴かなかったのだが、久しぶりにその最初の曲、第1番 K279ハ長調を聴いてみると、まるで乾いた喉に流し込まれた冷たい水のようにすーっと心の奥まで浸み込んで来た。音楽を聴いてこうした幸福感を覚えるのは久しぶりのことだった。

 20世紀の偉大なピアニストの一人、グレン・グールドといえば、もちろんモーツァルトではなくバッハだ。かつてはチェンバロで弾かれるのが常識だったバッハを、表現力ではるかに勝るピアノを用い、斬新な解釈でバッハの鍵盤音楽の可能性を一気に広げたのである。だが、彼はバッハの大家と呼ばれるには少々個性が強過ぎた。他人の意見には耳を貸さず、気まぐれで奇行も目立った。バッハの偉大な才能だからこそ、そんな彼を惹きつけ、その強烈な個性を受け止め、生涯にわたりその才能を鼓舞し続けたのである。

 では、グールドはモーツァルトをどう捉えていたのであろうか。彼のモーツァルトのソナタ全集を購入し、K333のソナタをはじめて聴いたときの驚きと落胆は忘れられない。再生速度を間違えたかと思わせるほどの高速のテンポ設定に、人を馬鹿にしているのではないかという憤りさえ覚えた。かつてのモーツァルト演奏の第一人者、リリー・クラウスが、「才能があるのだから、もっと普通に弾けば良いのに」と嘆いたのも頷けた。

 冒頭に挙げたK297でも、テンポは極端に遅く、やたらと音の粒を揃えて弾いており、いわゆるモーツァルトらしい滑らかさからはほど遠い。また、左手の伴奏は、通常右手を和声的に補佐するものだが、グールドの演奏では右手と競うように自己主張している。グールドはモーツァルトをモーツァルト風に弾く気などさらさらないのだ。

 だが、粒の揃ったタッチは、聴くうちに次第にモーツァルトに似合っているように思えてくる。さらに注意深く耳を傾ければ、グールドはモーツァルト独特の魅力をはっきりと意識していることがわかってくる。モーツァルトの神髄はその即興的な展開にあるが、彼は計算し尽くされた演奏でその魅力を表現し、全身鳥肌が立つような感動を呼び起こすのだ。さらに左右の旋律の独立性は、モーツァルトの音楽的構造の堅牢さを浮かび上がらせ、軽やかなメロディーが実は鋼のような強さ秘めていることを明らかにする。彼は、モーツァルトの音楽をぎりぎりまのところまで追い込むことにより、永年に渡って創り上げられて来た偶像を破壊し、改めてモーツァルトの真の可能性を世に問うたのではないだろうか。

 K333の奇妙な演奏にも、彼独自の深い洞察が隠されているのかもしれない。いたずら好きのモーツァルトに対するグールド流の返礼と思えなくもない。奇をてらっているとみせかけて鋭く核心を突くのは、いかにもグールド流のやりかたである。癖が強いほど、騙されないよう特に気をつける必要がありそうだ。

魔法の時間

 最近では元旦から開いているスーパーもあり、正月もすっかり慌ただしくなってしまったが、それでもその数日間には普段とは異なる特別な時間が流れている。

 歳を取ると時間が貴重になる。毎年、この時期、これまでできなかったことを今年こそはやろうと思うものだが、その切実さが年々増しているように思う。年末から、来年はどういう年にしようかと漠然と思い描いているのだが、年が明け新年を迎えると、いよいよだと身が引き締まる思いがする。正月は静かな中にも独特の緊張感が漂っているのだ。

 正月にはこの1年の政治や経済などを占うTV番組がいろいろ組まれているが、最近はあまり興味が湧かない。この貴重な時間はそんな外的な問題に振り回されず、もっと内なることに集中したい気分なのだ。

 今年はやることを絞り、自分が人生でどうしてもやりたいと思っていることにできるだけ集中したいという思いが強い。やりたいことをやるのは決して楽ではない。なぜなら、本当にやりたいこと、やらねばならないことというのは、大抵は暗中模索だからだ。それに比べれば、目の前にある仕事をこなしたり知識を身につけることはずっと楽だ。だから、そうした結果の出やすいことについ逃げてしまいがちだ。そこをぐっと我慢して暗中模索の中に何かをつかみ取ることが重要なのだ。自分をごまかしている時間はもうない。

 ところで正月には、帰省してかつての友人たちに会うのも大きな楽しみだ。15年ほど前から始めた高校のクラス会はこのところ毎年1月3日に開かれている。最近、かつてのクラスメイトたちとの話が急速に深まって来たので驚いている。

 その理由の一つは、毎年、回を重ねるうちに互いの壁が取り払われ、それまで触れたことのなかったような突っ込んだ話題も取り上げるようになったからだろう。昔からお互いに良く知っているつもりだったが、実は知らないことのほうが多かったのだ。しばしば相手の別の側面を見せられてハッとさせられるのである。

 また、お互いに人生を重ねて成長していることも大きい。仕事のこと、家族のこと、夫婦のこと、人生のこと。誰もがそれぞれに悩んできたのだ。そして、それらは確実に各人の成長を促してきた。もちろん人にもよるが、親しい友がそうした成長の跡を見せてくれると嬉しくなる。そして、また来年までの互いの成長を期して名残惜しさのうちに別れるのだ。決して懐かしさだけで付き合っているわけではない。

 今年もらった年賀状には、子供が巣立って再び夫婦2人の生活になったという便りが目立ったが、幸いまだ娘2人が居座っている我が家は、元旦、家族4人で原宿へ繰り出した。二十歳前後の娘たちと一緒になって原宿でショッピングを楽しめるのも正月ならではのことだ。彼女たちも、この時間を特別な思いで過ごしているようだった。我が娘たちがいつまで家にいるかわからないが、家族の距離を縮め、家族の絆を強めてくれる貴重な機会を与えてくれたのも、まさに正月という魔法の時間のなせる技だったのだ。

フリー社会

 ネット社会の大きな特徴の一つは、さまざまなサービスが無料(フリー)で受けられることだ。かつてGoogle Mapが登場した時、このような便利な地図サービスがなぜ無料で使えるのか誰もが不思議に思っただろう。おかげで当時何万円もしていた多くの地図ソフトはたちまち姿を消してしまった。

 普段ネットを観る時、われわれは当たり前のようにGoogleやYahooの検索システムを用いている。もはやそうした検索システムが無料であることに疑問を感じる人はいない。しかし、検索システムなしではネットの利用はほとんど不可能だ。ある日、Googleがそのシステムを、突如、有料化したとしたら、ユーザーはお金を払わざるを得ないだろう。しかも、こうしたサービスの提供にGoogleは莫大な費用を投じている。なにゆえGoogleはそうしたサービスを無料にしているのだろうか。

 もちろん、Googleは何らかの形で収益を上げている。メインはネット広告だ。Googleはユーザーが検索した全ての履歴を記録している。その人が何を探し何を買ったのか、スポーツに興味があるのか政治に興味があるのか、どのアイドルに興味を持っているのか、全ての情報は蓄積され分析される。そうした膨大な情報に基づき、その人が今まさに求めている情報を広告としてパソコンやスマホに表示するのである。こうしたシステムは日夜洗練されており、将来的にはその人の性格や行動パターン、人間関係から人生観に至るまでユーザー当人以上にGoogleが知っているという時代がくるだろう。Googleにとっては、検索システムを無料化しても、それを補って余りある見返りがあるというわけだ。

 しかし、無料化の理由はそれだけではない。ネット業界ではネット上のサービスを無料化し、別のところでその分を回収するというビジネスモデルが徹底的に研究されている。広告の場合には、広告を出す企業がお金を出す。ネット上のサービス自体が物品の販売促進になる場合は、もちろんそれを買った一部の人が負担することになる。かつてはサービス自体に課金するケースもあったが、無料サービスが急増し、無料だけで十分足りるようになると、特別な場合を除き有料サービスは見向きもされなくなってしまったのだ。

 もちろん、無料化がいつもうまく行くとは限らない。無料で提供する分をどこかで取り返さなければ、そのサービスは破綻する。多くのサービスがそのギリギリの線で運用されている。その代表例がFacebookだ。いまやSNSの雄となったFacebookだが、広告収入を増やそうとすればFacebookというブランドの価値が下がってしまうというジレンマがあり、永年にわたって収入より出費の方が多い状況に苦しんできた。投資家は将来、Facebookという無料サービスが莫大な利益をもたらす方法が見つかることを期待しているが、今でもそれは未知数なのである。

 フリーは必ず誰かがそれを負担することが必要だ。だが、その一定の負担が無限のフリーサービスを生み出す。フリーは、従来の価値観を覆す現代の打ち出の小槌なのである。